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務台理作と生江義男の対談:桐朋をつくった二人の貴重な資料

  • 女子部門

 2025年7月に『桐朋教育』57号を刊行、特集を“「バトンをつなぐこと:「昭和100年」・「戦後80年」・「初等部70年」」”としました。学園の歴史を語る上で必ず立脚すべきは、学校に残された一次史資料です。本号では、当時の一次史資料を掘り起こして、可能な限りそのままの形で(解題と共に)掲載しました。紙幅の関係から、戦時下の1941年に軍人・軍属の子女に特化した私立学校としてスタートした山水高等女学校の創立以降、敗戦を経て戦後の民主主義教育のパイロット校に転生、「桐朋学園」の名のもとに再スタートするまでを所収しています。事実上の設立者である「海運王」山下亀三郎、山水高女の初代校長である相良達夫、桐朋学園への転生に立ち会った桐朋学園初代校長にして理事長の務台理作(むたいりさく)、そして今日の桐朋学園女子部門・音楽部門を創り上げていく生江義男といった大先達の残した精神的遺産を昭和史の波動の中に見出す試みです。ぜひ手に取って御覧頂けると幸いです。

    

 戦後の教育基本法の立ち上げに深く関わった務台理作は、戦後日本の教育改革全体に関わった哲学者であり、実際に学園の現場での教育実践に携わったというよりも、精神的な意味での礎を築かれた方でした(在任期間は1947~48年度のみ)。そのバトンを引き継いだ生江義男は、半世紀の長きにわたり、主事・校長・理事長という形で今日の学園の基盤を類まれなるアイデアと実行力で築き上げた教育者です。務台理作と生江義男が今から半世紀以上前に残した貴重な対談記録があります(『あすを語る』、桐朋選書、1970年に所収)。桐朋学園の自校史のみならず、日本の戦後教育史を探究する上でも貴重なドキュメントであることから、ここにPDFにて公開します。

   

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