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研究促進

教員の研修は、楽しく自主的に
―そのために私がやったこと―

生江義男

1. 信頼感と対話の精神と

 新任教師を採用する際、私の言うことはいつも決まっている。「おい、勉強しろよ。授業一辺倒の教師になったってえらくもなんともないんだよ。大事なことは、生徒がその先生の言動から『この先生はなにかを持っているな』と感じ取るような先生であり続けることだ。生徒は正直なもので、チャランポランな先生と芯のある先生の区別がちゃんとできてしまうんだ。そして、芯のある先生を子ども達のやり方で尊敬し、そういう先生の話をきちんと聞くものなんだ。聞きかじった指導技術とか目先だけのハッタリなど、すぐ化けの皮が離れていまうんだよ。」
 このことは何も「教室での授業をおろそかにして、大学で修めた学問を極めよ」ということではない。大学で何を勉強しようとそんなことは関係ない。要は、例えば知的好奇心を持ち続け、視野を広げることに努め、異文化に興味を持ち、感性を磨くなどして、常に自己を高めようとする行為があるということである。相手が子どもだからといって、自分を磨くことを止めた時、教師としての指導力は急速に衰えてしまうものである。
 ところで、私はこの言葉を常時繰り返しているわけではない。一人の教師に対して一度しか言わない。あとは、私自身の日々の姿勢で感じ取ってもらおうと思っている。感じてもらえない場合は仕方がない。採る人間を間違ったか、私自身に芯がないか、いずれにしても私の側に非があることを省みる以外に手はないと考えることにしている。

2. 教え諭すなどとんでもない

 昭和41(1966)年から校長職を退くまでの20年間、私は中学・高校の各学年の生徒たちを対象に、週三回(各学年隔週に一回)、朝のホームルームで「校長講話」を続け、さまざまな事柄を話題にしてきた。と言っても、校長として修身・道徳的な話をするということはほとんど無い。人間として生徒たちと対話を楽しむという気分の話題が多かったような気がする。
 古代の遺跡が発掘されれば、歴史と神話の接点について話す。伝染病がはやった時は、ヨーロッパの人口の増減とペストの相関に話が飛ぶ。冬休みの前の話は、正月行事と民俗学について。そうかと思うといきなり『太平記』の一節を暗唱してみせる。あるいはハーモニカで『越後獅子』を披露する。そして時には「君達と一緒に私の話を聞いている先生は、今こういう勉強をしているんだよ。知っているかい?」などと宣伝する。あらかじめ話題を用意するのも楽しい。―そういう講話を20年続けたわけで、従って桐朋の教師達はそういう私をずっと見てきたことになる。
 校長が教員に向かって、いわば顔と顔をつき合わせて「勉強しろ」では教員の心が縮んでしまう。校長が西を向く。それを見た教師が「西の方になにか面白そうなものがありそうだ」と思って西を向く。校長と教師が並んで同じ方向を見る。それは校長にとっても教師にとっても楽しいことである。時には、東を見ている教師と並んで、校長もそちらを見てみる。これもまた楽しいことである。  教え諭すなど、そんな偉そうなことは私にはできない。やったとしても楽しくないし、楽しくないから気詰まりで長続きはしまい。自分自身のペースとリズムで自分の研究テーマをしっかり掴んでおく。そうすれば、自分の心にもカビが生えないし、教員たちにもなんらかの知的な刺激を与えることができよう。

学研『月刊教育ジャーナル』平成3年2月号掲載

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