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モゲ散散歩

  • 教養・スキルアップ

11月に入り気候も落ち着いてきたように思います。
今回の散歩は上野近辺を歩くことにしました。銀座線の稲荷町で集合してスタートです。先ず稲荷町の名前の由来になった下谷神社に参拝しました。この神社は東京最古の稲荷神社です。明治になってから「稲荷」の名前を取っているのですが周辺は稲荷町と言われていました。太平洋戦争でも戦災にあわなかったので社殿の軒下の彫刻など見とれてしまいました。この辺りは大小のお寺が集まっています。その中で源空寺を訪れました。ここにある銅鐘は都内でも最大級のもので江戸時代の作で高さが2.2mほどあります。この寺の墓地には大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬の墓があります。その横には師匠であった高橋至時の墓もありました。師弟で同じ所に並んで葬られているというのは珍しいと思いました。続いて聖徳寺を訪れました。ここには玉川上水を作った玉川兄弟のお墓がありました。次に曹源寺です。別名カッパ寺と呼ばれています。江戸時代この周辺が湿地であったことから近くに住む商人が私財を投げうって水はけ工事をしたところ、カッパが協力したという事があったことからこの寺に祀られています。近くの道具街カッパ橋の語源にもなっています。次は秋葉神社です。秋葉さまは火伏の神として様々な所に祀られていますが、ここは明治天皇が江戸から東京に移って大火で被害を受けた歴史を見て火事を収めようと今の秋葉原の駅近くに神社を建てたのです。当時は火除け地の中にあったのでこの地を秋葉原と呼んでいたのだそうです。先日開業100周年を迎えた山手線ですが、神社のある所に線路が通ったあために現在地に遷座されました。次は日輪寺です。平安時代朝廷に逆らった平将門が打ち取られた時に、はねられた首が現在の大手町に飛んできたという事で、ここには今でも平将門首塚があります。この首塚の周りには神社とお寺があったのですが、それぞれがその後移転して神社は神田明神、お寺は日輪寺としてこの地に移ってきました。このお寺は東京では珍しい時宗のお寺です。次は入谷鬼子母神です。江戸時代に太田南畝が洒落言葉として作った「恐れ入谷の鬼子母神」の舞台です。ここはまた朝顔市で有名な所です。朝顔市の時にはたくさんの参拝客があるそうです。今回の散歩はここで時間が無くなってしまったので、最後という事で、小野照崎神社と英信寺を訪れてました。小野照崎神社は小野篁がここに住んだことから作られた神社です。境内には立派な富士塚もありました。他にも織姫稲荷があり、願い事は繭玉を使ったお札に書いて奉納していました。 英信寺には七福神の一つである大黒様が安置されているのでお顔が3面あります。穏やかな笑顔を見せる大黒様ですが弘法大師の作と伝えられています。今回は予定した部分の2/3ほどしか回れませんでした。今回のコースを回って気が付いたことはガイドブックを片手にした外国人観光客の多さでした。日本人の我々も行かないような所に目をつける外国人観光客のすごさを感じました。

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