モゲ散歩
- 教養・スキルアップ
後期最初の講義は学校で行いました。
今日のテーマは2つです。一つは後期の最後の散歩で訪れる足利に関連して、時間的にそこまでは足を延ばせないところの紹介をしました。もう一つは昔習った歴史の内容が今使われている教科書でどのようになっているのかというのを歴史分野に特化してお話しするというものです。
1つ目の話題:足利というと室町幕府を作った足利尊氏が有名ですが、鎌倉幕府を滅亡に導いた戦いをしたのが新田義貞です。この二人、実は親戚同士でした。そして住んでいた所も足利と太田という隣接した所でした。しかし、室町幕府を開いた足利尊氏と対立をした新田義貞は歴史の中で姿が薄くなってしまいました。さらに第二次世界大戦飛行機製造工場のあった太田は空襲に見舞われ多くの物が消失してしまいました。それに対して足利は空襲を免れたので鎌倉時代からの建造物がのこっています。東洋最古の大学といわれる足利学校。足利氏が居住していた館跡に建てられた鑁阿寺など有名な施設が数多く残っています。そんな中、太田市には徳川氏に関連するものが残っています。それは徳川氏の先祖が新田義貞につながっているという事で、ここには東照宮も残っています。なぜ徳川氏が新田氏につながるのか? 将軍職を継ぐときに源平交代説というのがあったのです。平安時代の終わりから武士の台頭で政権担当が平清盛→源頼朝→北条氏→足利氏と変わって行くのですが、北条氏は平氏の流れ、足利氏は源氏の流れなのです。その後の家康までの話をし、家康が新田義貞の直系であるという説まで話をしました。
2つ目は日本の歴史で昔こう習ったのが、今は違った内容になっているという話です。例えば昔の1万円札の顔といったら聖徳太子ですが現在の教科書には厩戸皇子という記載になっていて括弧つきで聖徳太子と書いたり、本によってはその記述すらないということ。縄文時代も1万年前から始まった狩猟採集生活をしていた文化で縄文土器が特徴とされていましたが、6000年前から1600年もの長い間続いた三内丸山遺跡の発掘調査で定住ということと雑穀の農業がおこなわれていたことが分かって来ました。また関東以南では縄文時代にも稲作を行っていた遺跡が発見されて狩猟採集だけではなかったことが証明されたので、スタートの時期もさらに遡り農業も行われていたという表現になっています。このように現在の教科書と並べてみると細かい所で差が生じています。ですから今の学生に日本の歴史について話をした時に通じない内容もいくつも出ているという事になります。そういった」例をあげながらの話をしました。

